娘のための昼食。今年は冷たいうどんを作る頻度が例年より多めです。
「これはどうやって作るの?」
ほわほわとして一個とは思えないボリュームがあるのに、とろとろした卵のペーストのようなあんが不思議だったようです。
先日の「冷たい高野豆腐と人参の卵あん流し 」の時も疑問に思っていたのか、2度目の似たような形態のものに遭遇して、「あれは偶然の産物や食材などの特別な条件が嚙み合ったからじゃなく故意に作っているものだ」と思ったのかもしれません。
滅多に作らないけど、このタイプのあんは私も好きです。
青、白、黄色に、差し色の緑。これはきっと夏休みの終わりに力をくれる色。
8月もそろそろ終わり。
義務教育の子どもたちは宿題に追われる日々……というイメージはもはや時代遅れでしょうか。
宿題の内容も様変わりして、ただ大量のドリルをこなしておけば済んだ時代ではなくなり、「課題を探す」「調べる」「発表する」という手間暇がかかるものも増え、結局ネットを上手く使いこなした人が楽に終えていくようになっているのかもしれません。
そろそろAIが宿題をやってくれるのではと思います。
宿題をやるもやらぬも本人の考え方次第です。
本人の人生設計の中で決めるのは親でも教師でもなく、あくまで本人ですから、どちらを選ぶのも自由にさせてやりたいものです。
昨日もちょっとそんな話を皆さんの前でさせていただきました。
あれほど自分を良い状態でその場に運ぼうとしていたのですが……。
まあ、着いたら町内の集まりの方と遭遇し(同じ施設内で会合が元々ブッキングしていたので欠席連絡を入れていたのですが)そちらの書類をいただいてしまったので、急いで書き込み提出する等、ワタワタしてしまいました。
気持ちが安定しないまま、緊張をいなせないままに開始時間となり、事務連絡をさせていただき……と突入していました。
それでも、予定の内容を、思い描いた手順と予定の時間できっちり終えることができました。
これはたぶん、昔取った杵柄っていうものなのかもしれません。
ピンチの時に体に沁みていたものが出てくる、自分を見失っているようでも、脳と体が勝手に反射的に訓練された形で動くという、あの感じです。
そんな私の状態でも無事に終えられたのは、いつものお茶会仲間たちのおかげ、先輩方のおかげでしかありません。
本当のコミュニケーションをして、自分と他者の心を大切にしていると良い人間関係が生まれます。
自分がベストの状態じゃない時にも「手伝ってやった」「代わりにやってあげた」ではなくて、自然に自主的に見返りを求める気持ちは一切ない状態で支えてくださる人たちが現れました。
何もお願いする必要も無く、さっとそれぞれが気づいたことを自然に動いて片付けて行ってくださる。完璧な協力体制です。
こちらには感謝しかありません。
手伝った人も手伝われた人も、互いに出る言葉は「ありがとう」。
こういうことが人には可能なのです。
とても感動しました。今もこれを書きながら目頭が熱くなっています。
何をやっても毎回、自己反省にはきりがない私ですが……来月のお茶会にはこの反省が活かせるようにしたいですね。
この感動を力に変えて、周囲の人にとってより穏やかでより良い場になるように、皆さんで作ってくださる穏やかな空気の場に、邪魔になることなく私も居させていただけるように精進していきたいです。