夏ごろからお遊び気分で陶芸を始めましたが、まだまだ楽しいばかりです。
地域柄、少し足をのばせればあちこちに窯があり、陶芸体験ができます。
好きなので、今までにそういうところで手びねり、ろくろ、下絵付け、上絵付、タイル絵付け、タイル工作をやって来ました。
けれどもなかなかと制限が多くて、自由に作らせてもらえないので、1回か2回で不満が溜まるので続きません。その上、交通費も料金もかなりかかります。
それで、陶芸は諦めていたのですが、誘ってくださるのでちょくちょくお邪魔。
行けば材料も道具も準備万端。出していただいたものを好き勝手に成形。
焼きはお任せ。
つまり難しい作業はプロが全部やってくれる状態です。
それなのに、私のすることをやたらと面白がって無謀の挑戦を止めようともしないどころか、寧ろ協力してくれるというありがたさ。
これは向こう様が飽きるまで続きそうな予感です。
とにかく善い人で、気持ちを大切にする人で、嬉しくなるといろいろ物をくださる。
先日は食べておいしいとお感じになった高級米、高級卵をいただきました。
お隣さんのケア料理が不要の日に、娘と。
調味料は「しろたまり」。
しばらく見かけなくて手にしていませんでしたが、通院で中心街に行ってウロウロしていたら発見して、手に入れることができました。
この地域の調味料ですが、失われた製法を復活させたという、あまり知られていない調味料。
お味噌汁は娘の体のことを考えて、屑野菜含めて野菜をいっぱい。当然赤味噌。
先日もデジカメのことで少し触れましたが、以前の私は「遠慮が美徳」としつけられて育った名残りで、人の厚意を極度に遠慮して人間関係が上手くいかなくなることもしばしばありました。
「ありがとう」を言う状態になると引け目を感じてしまうほどで、仕事のチャンスなど、自分の得になることは全部他者に譲ってしまって無にすることばかりでした。
近頃ようやく素直に厚意を受け取れるようになりました。
「遠慮が美徳」「自己犠牲が美徳」というのは母によるマインドコントロール。
母が私を自己都合で恐怖で縛ってまで植え付けたこと。
それでDV被害者になる土壌が私の中にできていたことで、DV気質のお隣さんが増長してしまって、心理学的には、なるべくしてなったこととも言えるのです。
ここ数年、自己カウンセリング的にもかなり頑張りました。
自分の気持ちに素直になるれるように、他者の気持ちにも素直になれるように。
相手がなんとなくそうしたい気持ちになって厚意をくださるのだから、それを尊重する意味でも、素直にありがとうと受け取るのが良い人間関係を育むようです。
実践してみてだんだんわかって来ました。
自分自身も恩返しだからとか他者に良くしなくてはならないからとか「ねば」ではなく、喜ばせたい、お返ししたい、なんかそうしたい気分だからする。
心に無理はしない。余力がある時だけする。自然な自分の本当の気持ちを聴いて動く。
それが近頃考えなくて自然に動けるようになり、自分も楽になりましたし、人間関係も不思議と円滑になり、全体に楽になってきました。
今日はスーパーを3軒梯子して、今まで買いためたものと合わせて、下の娘の親友に段ボール箱一杯の食糧支援をしました。
これでお正月ぐらいまで酷く飢えることなく、なんとか無事に暮らしてくれたら嬉しいなという気持ちです。