いつもと変わらず自分と向き合いながらの日々です。
現在、故障がどんどん進行中のパソコンのデータ移動の間、しばらくお休みさせていただくことにしました。
この一か月ほどの間に私にとっては辛いことがいくつも重なりました。
自分にとってはパソコンの故障が最終通告といいますか、気持ちの踏ん切りになって、昨年あたりから考えていたブログの内容を見直して仕切り直すという決意をしました。
痛風ケア料理も10年以上たちました。ブログは9年。
年齢が上がってきたこともあり、栄養バランスとしてもう少しタンパク質を増やしてもいい頃にもなります。
一度、ここで日々の痛風ケア料理をアップするのをストップし、参考になるようなものを再アップするなり、何か考えたいと思っています。
昨年から考え続けていたこどですが、みなさまには突然のお知らせで恐縮です。
さて、この先まできちんと読んでくださる方、中でも、好意をもって私と長く交流してくださっているみなさまへ。
個別にお話させていただけるといいと思いましたが、悩み抜いた末、ここへ書くことをお許しください。
パソコンが壊れたことはそれと連動しているわけではないでしょうが、目に見えない何かがあるのでは?と思うほど一気にいろいろなことがありました。
仕切り直しを決意するに至ったたくさんの理由の中の一つをここに書きます。
先月のことです。
ブログが原因で、ネットを通じて中傷されました。
私の関係している組織にまで脅しめいた中傷メールが送られたのです。
長く交流してくださっている方はみなさんご承知のように、私は長年危険と隣り合わせの生活。
当然、交番にその旨オープンに届けてあります。
私の周囲に何か危険性があればすぐにという見守り体制なので警察には何事も連絡すべき立場という認識で、この件もすぐにお伝えしました。
そこで勧めていただいた通りに専門部署に出向きました。
そこでも身辺には重々注意し、身を守るようにということを真剣に心配していただきました。
今は恐ろしい時代で、検索してこちらのことも突き止められます。
反対にブログを読んだ跡やメールやネット書き込みの跡から、犯罪捜査となったら相手のほうも特定されてしまう時代。
犯罪が多くて逮捕してもしても次々なだけで、ネットならバレない、捕まらないというのは錯覚のようです。
私が悪いといけないので、専門部署の人の目でブログを見ていただきましたが、注意を受けたのは「自分の家族構成等、家の事情がわかる書き方」でした。
他の部分は「ぼかして書いてあるので、出会った人やあった事柄が、どこの誰でどこの話かはわからないようになっているけれども、被害にあう危険性が無いとは言えない」と。
つまり「違う人のことなのに、ぼかして書かれているが故に自分のことと思い込んでしまう人がゼロとは言いきれない」からとのこと。
なるほどと思いました。
例えば「勤め先」と言えば私は一つじゃなくてかなり非正規雇用を転々としているので長い人生の中のいつどこのはわかりません。
「近所」は住む場所も職場も転々とした私が生まれてから何十年もの期間のいつのどこかはわかりません。その時々の家の近所(転居しても近所)、学校や職場の近所、さらにその時々の知り合いの近所。
「周囲の人」も10年の軟禁状態ですっかり入れ替わっています。
「知り合い」なんてもっと想像つかない程広い範囲です。
時も同じです。「昔」「最近」「近頃」「この前」「以前」どれもこれも人によって時の長さ感覚が違う言葉です。
常にその日のその瞬間の気持ちを書いているけれども、登場する事柄や場所やその時期は異なっています。以前からお伝えしているように料理も時系列通りではありません。
例えばこんなこと、ということで、いつどこで誰がは書かれていません。
そういう内容を書いても自己反省のためなので、例えばこういうことに出会った時に自分はこう思う、嫌な事に遭遇して私は嫌だなと思った、その自分の心を見つめているだけです。
けれども、特定できないからこそ誤解を生む。そういうことだそうです。
読み手の受け止め方の問題で難しいけれども、気をつけたい部分ではあるそうです。
そして、そのメールだけでも、ある程度相手を探す範囲を予想できるということでした。冷静なプロの眼はすごいですね。
私自身ある程度落ち着いてそれを読めば、前面に強く表れている怒りと憎悪の奥に、苦しさ、悲しさ等々が感じられます。
あまりにも苦しくて私を攻撃せざるを得ないほどにいたたまれない気持ちでいらっしゃったのだろうと思うと、涙が出ました。
こちらの曖昧な書き方で傷つけ、不安にさせてしまったとしたら、ほんとうにごめんなさいという気持ちです。
履歴で気づきましたが、今はほかに誰も読んでいない古いブログまで一生懸命読んでくださっているのは、その方でしょう。
読んでいただくことで、私はやられたらやり返すような攻撃的な人間ではないことがおわかりになると思って、しばらくそのままにしていました。
特に古いブログは、ドロドロの中からでも実際にこうして立ち直ることができるということを自分実験的に、日々の気持ちを記録したものだからです。
諦めなくてもいい。苦しみや悲しみ、こころの空虚さ、絶望感、地獄を這うような思いの中からでも、人は抜け出せることがある。
苦しさに飲み込まれないで、抜け出すことを諦めないでほしい。
恐らく私とどこか通じる痛みを抱えている可能性のある方だと思います。
傷つけられてばかりで生きて来て不信感でいっぱいになり、周囲が怖くてたまらない状態は身に覚えがあります。
心の刃を自分に向けたくなるか他者に向けたくなるかは人それぞれに異なるけれど、根っこの傷はとても近いことがあるものです。
私は苦しんでいるであろうその方を捜査し、罪に問う気持ちになれませんでした。
子どもの頃からいろいろな人がそれぞれの都合、それぞれの理屈、それぞれの常識に従い続けていたら、私はとても人とは言えないロボットになっていました。
今なら法律や条例で取り締まりや保護されるものでしょうが、当時は誰にも助けを求められないような、今なら間違いとされている古い世間の常識や見方が当たり前にある状態でした。
私はヘドロの中でもがいて、力尽きる寸前で這い上がったと思っています。
そんな実体験とその後の学びで気づいたことがあります。
知識や理屈ではなんともならないのが人の心。そこに常識や理屈を持ち込むと心の苦しさからの抜け道は狭くなる。
今回、その方のおかげで、自分がまだまだ人に監視される(見られる)恐怖の元が子どもの頃からの数々の経験にあって、根深いと気づかせていただきました。
そして、自分は本当にどう生きたいか、どういう人間か、その自分の軸を再確認する機会もいただきました。
どんな時も、曇りのない心でとらえれば、悪いことばかりではありません。
私に学びの機会をくれたその方にはありがとうという気持ちが強いです。
いつかどこかで出会えることがあって、自分自身をよくなるよう、楽になっていくように変えていくお気持ちがおありなら、私たちの仲間になって共に苦しみを乗り越えていけたらいいなと思っています。
確かに私の心もえぐれたし、過去の恐怖が蘇って正直苦しい。けれども、その方の深い苦しみも感じるのでその重みが二重になっています。
この一か月に他のこともあって、いろいろ積み重なっていたところでしたから、正直、今これを書きながらも自分の中から出てくる恐怖心にさいなまれています。
こうして正直な一個人のその日その時その瞬間だけの気持ちを書くことをよしとしない人や理解できない人があることも20年ぐらいの間に何度か出会って知りました。
この先も今回のように自分以外の人、自分の大切な人たちにまで迷惑が及ぶのではないか。
そうなって、心ではなくて法で行動せざるを得ない状況になったら?……でも、それが何になるのでしょう? 心の傷は置き去りです。
今の私が傍から見たら危険で不思議な家庭環境にいるのも心を大切にしたいから。
人は誰でも善なる部分を持っていて、人は変われると信じるから。
こんな私でもまだ生きていますし、他者と共にお互いを真に尊重し合って生きるのが楽だということを知りました。
誰の敵でも味方でもなく、立場や肩書や年齢性別関係無しに本当の意味で尊重して慈しみあえる人と人。
お互いが警戒しないで心を開いて楽にしていて大丈夫な関係の人を増やしていく。
自分自身が歩んだ過去の事実は消えないけれど、過去が今を邪魔しないようにすることはかなりできる。それは私の10年の自分実験の結果です。
私はようやく本来の自分のままで生きはじめたところです。
だからこそ、今までと変わらず、日々自分の心を見つめて自己反省し、より良くなるように努力しつつ、自分だけでなく出会う人一人ひとりと上下無く尊重し合える関係を目指して精進したいと思っています。
それが私がヘドロの中から再生へと歩んできたこの10年胸に刻んできた「心のライフスタイル」であり、心を広く深く穏やかにして真の自分らしさを取り戻すための答えです。
この恐怖に震える中にあっても、私にとってのその答えと結果は消えません。
こんな私ですが、今後とも温かい目で見守っていただけると嬉しく思います。
別のパソコンへの移動と、この自分の内にある深い恐怖をもう少しいなすのと、その方の不安材料になっているであろう過去のブログを引っ込めて、ブログの内容を見直してリニューアルするまでお待ちいただきたく、お願い申し上げます。
今後、みなさんのブログに訪問、応援できない日も出るかと思いますが、どうぞお許しくださいませ。
長文を最後まで読んでくださってありがとうございます。