めのキッチンの美味しい生活

めのキッチンで実践して効果が出た「家庭でできる通風ケア料理」と「プリン体の減らし方解説」。また、普通食の創作料理を紹介しています。

お惣菜にミニ風呂吹き大根と生きづらく思うこと #よもやま話

今日はボランティアグループの会合がありますが、お寺も行かねばならないので早退か途中抜けしようと思っています。

ボランティア会合は役所の講座の流れで何となく行ってみる感じです。

広報紙の講座募集の文面に「受講後、登録して活動する気持ちのある人」と書いてあったので、てっきり役所に登録するのだと思っていたのです。

ところが、講座が終わってみれば「この民間ボランティア組織に個人情報を渡していいかときかれ、連絡が来たら見学にいってください」みたいなことで、なんか微妙に詐欺にあったような気分です。

役所の主催だから役所で活動するのだと思って、退院後の体調不良時にも休まず頑張って通ったのですが……。

講座の終了証も無しですし、銘打ってある肩書(資格?勝手に名乗っていい?)も貰えるわけでもありませんでした。

その民間組織もほぼ素人の集まりなのは講座中に世話人のように参加している様子を見ていても明らかで……ああ、役所ってやっぱりどこもこうなのね、ってガッカリしつつも、少々懐かしいような気持ちも湧いてきました。

かつてそういう様子を役所側から見ていたこともありましたから。

素人さんを使うとボランティアで使えて、しかも市民の自主活動を支援しているようにもなり、形は整うのです。

プロはお金がかかるので使わずにやりたいし、プロにやってもらうと市民活動ではなくなる。内容よりも表向きのその趣旨が大事という。

私がやっている傾聴にしても、話し相手レベルのボランティアなら役所に組織で登録して、盛んに活動ができますが、本来のメンタルケアとしての傾聴をする私たちはボランティアでは無い(一般的なボランティアレベルでできる内容ではない)ので、認めてもらえない状態です。

こちらのお役所は心の問題の相談のプロは臨床心理士か医師のどちらかと思い込んでいるようで、カウンセラーはカウントされていないかのようです。

明日は有志のお茶会。メンバーのお陰で半年続いています。

有志のお茶会開催までも孤軍奮闘で何年もかかったので、参加のために家まで足を運んでいただけるだけで、とてもありがたいです。

不登校、出社困難、家族関係、人間関係、進路の悩み、DV、多種多様なハラスメント……生きづらさを抱える人が多い社会の中で、需要はあるはずなのに、そういう人たちとなかなかつながれません。

そういう私たち苦しい人たちとつながれないこと、国家資格ではないのでなかなか信用してもらえず、知ってもらえず、活動の場が無いです。

そのこと自体を私たち自身が生きづらく感じてしまっている現状です。

なんとか活動の場を作っていきたいと、焦り、あがくばかりです。

今日もダメ元で今からそのボランティアの会合に行ってみるという感じです。

ミニ風呂吹き大根

ミニ風呂吹き大根
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白身魚のあおさパン粉揚げの痛風ケアメニュー

白身魚のあおさパン粉揚げの痛風ケアメニュー

白身魚のあおさパン粉揚げ(総菜)
添え野菜
小松菜の和え物
人参と昆布の煮物
ミニ風呂吹き大根
米麹漬け
エノキダケと油揚げと葱の味噌汁
白米ご飯2杯

 

バタバタと出掛けている日は帰り道でスーパーに寄ることがあります。

夕方の値引きシールも嬉しいですし、お隣さんに食事をお出しする時間が迫って来ている時のお惣菜は助かりますね。

これはでかけて遅くなるとわかっていた日のケア料理。

白身魚は青魚よりプリン体が少ないので、安心してお惣菜が買えますし、ケチケチし過ぎずに普通量をお出しできるのがいいですね。

特別なものはありませんが、たまにはと思って人参と昆布を煮ました。

それにミニ風呂吹き大根。

これは一昨日紹介した「大根の鮪ミンチ詰め煮 」の大根のくり抜いた部分です。

糠で下茹でした状態でくり抜いたので、小さいけれども風呂吹き大根にできます。

小松菜も茹でて置き、人参も煮て置き、風呂吹き大根も出汁で煮て、味噌を作るところまで準備しておくと、後は盛り付けだけになります。

帰宅後にキャベツを切ってお味噌汁を作ればお隣さんの一食分のケア料理はあっという間で、ご飯が炊きあがるのを待つ勢いですね。

事前に準備をしてでかければ、夕食の事ばかり考えて気もそぞろでいなくてもいいし、時間を気にし過ぎて心臓バクバクして焦ることなく、ようやく私も外で少し楽しめる状態になります。

裏を返せば、今になってもまだまだ家族の食事を作ること(ハラスメントとしての強制労働だった)が、私にとって大きな負担だということですね。

一番酷い状態から抜けて「お惣菜を使っても許される」まで緩めるのにも5年ぐらいかかりました。

たかが料理一つ。

それが物理的にも精神的も縛りがあって自由でも楽でもない、私の生きづらさの中の一部ですね。