災害や気候変動などで食材が高騰してしまうとすぐさま大ピンチに陥る我が家(私が無職のせいなだけですが)。
そんな時のために転居後も食べ物を作ろうとプランターで失敗すること3年……とうとう2019年に一人でお隣さんから見えない場所(干渉されない安全圏)の僅かな地面を掘り返して花壇を作りました。
ハーブと野菜の野菜花壇です。
粗悪な埋め立てのコンクリート交じりの粘土質の土と土台のコンクリートそのものに邪魔されて、土の深さが足らない花壇。
その上に、近年の厳しい気候と都会ならではの日当たりの悪さ、虫の密集で思うように育ったことがありませんが、時々は食卓にのせられるので助かることもあります。
特にハーブは私にとって料理を楽しくさせてくれる大切な要素です。
けれども、この花壇、方角は南にあるのですが冬の日当たりがべらぼうに悪いです。
春先になっても冬野菜は抜き菜状態。それでも、私はそれを食べきります。
今年の冬野菜の収穫も例年と変わらず、秋から冬中かかってもこの程度。
子どもたちが小学生ぐらいの頃、庭の抜き菜の小さな大根や蕪を茹で、味噌マヨネーズソースを添えるとすごく喜んで食べていました。
形も可愛いし、味もいいし、栄養もたっぷりでお勧めの食べ方ですね。
今年はこの蕪と大根の本体部分は添え野菜に使い、こんなふうに小皿に少しお出しする程度になってしまいました。
本体もこのサイズに満たないものばかりだった年は、たとえば「蕪づくし洋風餃子 」など、ペーストにして使ってでも全部食べ切ります。
なんだかんだ、冬の蕪や大根は小さくても使い道がありますね。
私は特にエコや節約に関心が高いわけでは無いと思います。
戦争を経験した祖父母と父、戦後の一番物の無い状態で貧しかった日本で生まれ育った母たちに育てられ、高度成長時代のサラリーマンとは無縁の自営業の家庭だったこともあり、戦中戦後の質素な精神の中で、それが日常に染みついただけだと思います。
買うのではなく、作り出す。捨てるのではなく使い切る。
そんな私の普通の暮らしが、今の時代ではエコロジーであり、節約になっているのでしょう。
米のとぎ汁や麺の茹で汁で油物の器を洗う、魚を捌いて調理した後の匂いに茶殻を焼く、レモンを使ったらついでに皮の残りでシンクを洗う等、子どものころからの台所の私のやり方というのは、昔からの主婦の当たり前の知恵ですね。
親に限らず、あちこちで他者のやり方を見て、特に教わることなく覚えてきたことが、私の中に積み重なっています。
「なんでお母さんは洗剤をちょっとつけただけで最後まで洗えるの?」
別に暮らし始めた上の娘が、自分でやったら洗剤を何度も途中で付け足しては洗わないとダメだったと言います。
教えられません。娘が洗う現場を見ていないので理由がわからないし……。
故に、注意深く「見て覚えろ」と昔の人も言ったのだと思います。
さて、本体の蕪の話でこんなに長くなってしまったので、蕪菜の話はまた後日。