今年は気持ちに余裕があるようでいて、実は全然無かったのかもしれません。
「小さなことだから、このぐらい大したこと無いから」と、ストレスを無視して「今はこれをやりきらなくては」と日々を過ごしてしまっていたようです。
なぜそこに気が付いたかと言いますと、器です。
今年は女子ご飯でも使う器は決まってきていました。
2人前が一度にお盆にのせらるサイズのもの、と。
普段なら優先する心の豊かさをグッと我慢して利便性を選んでいました。
気力と体力に合わせて生活するのは致し方ないし、寧ろ普通のことではありますが、「小さな我慢を続けることでじわじわとメンタルエネルギーは減っていく」と自己確認しました。
8月も終わりが近いのに、このお皿を使ったのは2回め。
猛暑でそれなりに冷たい料理を作ったはずなのに登場頻度の低いこと。
例年なら1枚しか無いこのお皿をせめて娘にだけは使ってきたのに……。
中身も何年も作っていなかった「ざるきし」。
ざるに盛っていませんが、総じて言えば冷たいきしめんをつけダレでいただくタイプ。
娘に栄養を摂らせようと、鶏むね肉の皮無し部分を使いました。
皮はお隣りさんのケア料理のために使われます。
ついでなので、このつゆの残りに茹で卵を入れて冷蔵庫で味玉制作。
暮らしの中にこういう利便性も必要。
でも、大きさの問題でお盆にうまくのらない不便さのあるこのお皿を使って娘に出したら、僅かに気分が穏やかなほうへ。
無垢な白。光を自然に通したり反射したりとありのままで輝くガラス。
このお皿はギラギラし過ぎず、柔らかく光を受け止めて返すところが好きです。
見るだけでも効果はあるので自分はただの白い器で終わらせましたが、小さな自己満足感は必要ですね。
体を休めて睡眠をとる予定の昨日は溜まっていたことをバタバタ片付けて(でも娘の帰宅前に少しボーッとする時間は取れました)お隣さん分だけいつも通りにきちんとケア料理を作り、娘の夜食または朝食を念のために作り、久しぶりの本業で出番なのに気持ちが沈みっぱなしの娘にも振り回され、寝不足で今朝を迎えました。
今朝もそのままどんより気分の娘に好物の朝食を用意し、なんとか送り出しました。
明日に向けて、今日は何が何でも自分の心のほうをしっかりケアして整えたいです。
物事に臨む時、物理的な書類や何かの準備等より何よりも重要なのは、自分の心の状態をいい状態でその場に運んでいくということだと思っています。
精神療法の学会のこの地区のメンバー全員に呼びかけ、今後も学び続けたい人たちにの集まりを企画して準備してきました。
それが明日。
案の定、出欠連絡すらほとんどありません。人数はとても少なそうです。
コロナをきっかけに概ね切れてしまった細い糸の残骸を拾い集め、繋ぎ直す目的です。
私と有志のお茶会仲間の気持ちとしては、もしも参加者が0人であったとしても、今後のカウンセリングと傾聴療法の活動の出発点ととらえている重要な集まりです。
私を支えてくださる有志の素敵な人たちのためにも、遠くから探して会場に来てくださる方のためにも、県外から協力に駆けつけてくださる先輩のためにも、安心安全なあたたかくて自由な空気感のある集まりになるように、私の心が「場」を邪魔しないよう、安定して穏やかな澄んだ心の状態で臨みたいです。