鱸(スズキ)とベーコンと根菜の法蓮草入り和風アクアパッツァ……長い名前ですね。
近頃、あり合わせ料理の紹介が目についてしまいました。
すると、皆さん褒め上手で……あるものだけで工夫できるということに対して私を持ち上げてくださるコメントをいくつもいただきました。
ありがとうございます。
でも、少し恥ずかしい気もします。
だって、私は料理が嫌いですから。
鱸はアラです。
切り身のサイズを揃えたかったのでしょうか、尾のほうが随分大きくぶつ切りにされてパックに入っていました。夕方で値引きシール。当然、買います。
白身とはいえ、痛風ケアの一食分には少し大きかったので多い分だけカットして、お隣さんには見栄えの良い部分。女子にはアラ候の不揃い部分を盛り付けれは大丈夫。
イメージはアクアパッツァ。
魚が一種類しか手に入っていません。旨味がもう少し欲しいところです。
が、プリン体の多い貝類や甲殻類を入れるわけにもいきませんし、同様の理由でスープの素を入れるわけにもいきません。
冷蔵庫にあったいただきもののベーコンを入れました。
ベーコンで洋風に傾くところを大根や蓮根で見た目を和に。
法蓮草より蕪菜のほうが風味が強くて和な感じ強く漂うので好きですが、蕪菜は無くて、法蓮草は茹でてあった残りがありました。
ブレンダーで法蓮草粉砕して仕上げに加え、最後の味の調整は醤油で。
これで和風のアクアパッツァになります。
鱸とベーコンと根菜の法蓮草入り和風アクアパッツァ
フジッリのサラダ
パプリカのサラダ
アスパラガスのごまだれかけ
蕪の塩麹漬け
玉葱とワカメの味噌汁
白米ご飯2杯
思うような食材が無くても、無いなりにあるもので作ります。
それが家庭料理だと思っていますし、そうすることで新しい料理が生まれてくるのが私流です。
食材が揃わないから作らない、不足している食材は抜いていつも通りに作るという考え方をしていると、作る料理がマンネリ化し易いでしょうし、美味しいものを食べるチャンスも逃してしまう気がしています。
「今日は食材が無いから我慢して」と料理を出すこともたまにはあってもいいけれど、できれば「物足らない気分」や「美味しくない気分」で食べてもらう状態は避けたいと思っています。
食事は心身のケアの中で毎日、それも何回かチャレンジできる重要なポイント。
自分が納得いかないものや楽しくないものを作るのも、食べた人ががっかりするものを作るのも嫌だなと思います。
それは、家事が大嫌いで本当は料理も面倒な私だからこそ。
作りたくないのに作るからこそ。
やりたくないことを我慢してやったのに、結果も残念では……ということです。
好まないけれどもやらねばならない(「ねば」大嫌いです)から、メンタルエネルギーを削ってやり遂げた後の達成感や自己満足感が欲しい。
そのために「アイデアをひねり出し、工夫して形にする」という自分が好きな事を盛り込んで、毎日の料理の際、気休めにしています。
必要なのは毎日の生活の中でいろいろある「やらねばならない嫌なこと」を「ただ嫌なだけの気分にしないでやる」こと。
制限のある中でも目いっぱい自由に。
制限の中に自分にも他者にもいいことを勝手に盛り込んで、「してやったり」とニヤリとする。
若い頃はただ黙って我慢してそうしていましたが、それを何年も続けると「嫌」に押しつぶされて自分が疲弊しました。
心理の勉強をしてからは、「嫌だ~っ!」と言って嫌な気持ちを正直に認めて外に発散させて(ここ数年は下の娘と二人なので感情を口に出してもとやかく言われない)から、気持ちを仕切り直し。
その後は今まで通りに制限内で楽しくやるように変えました。
日本人が大好きらしい、暗黙の(カッコイイと勘違いしている)推奨ルール「黙って我慢」はメンタルヘルスの天敵でした。
感情を外に出して認めるだけで、嫌なことがある中、良くない状況が変わらない中でも、なかなか快適に暮らしていけますね。
そうすると、心が疲弊することなく視野も狭まらずにいられるので、改善策等も柔軟に出てくるような気がしています。