めのキッチンの美味しい生活

めのキッチンで実践して効果が出た「家庭でできる通風ケア料理」と「プリン体の減らし方解説」。また、普通食の創作料理を紹介しています。

「暑い時に暑いと言うな」え?じゃ、これ一緒に食べようか。#よもやま話

人の行動を決めるのは常識でも何でもなくて、突き詰めればすべて「感情」。それも「個人の(その人自身の)感情」。

私は元来、開けっぴろげな性格で、我慢強すぎる上に楽観主義のようです。

日本人はやたらと「愚痴を言うな」「皆大変なんだ」「我慢しろ」と言いがち。

そして、指導、助言、判定……等々を有意義だと思い込まされて育っているようです。

Twitterなどのコメントはかなり……。それが「人の心に害になること」と知らない人はとても多いのだなと感じます。

人間の心理、自分の奥底に長年注目し続けて来て、今はカウンセラーでもある私は、「人の言葉の出所の本心」がたぶん普通よりわかるので、真に純粋な親切心からではない場合のそれらの言動に触れると悲しくなります。

そこは楽観的でいられませんし、そうしていたらカウンセラーとして失格だと思っています。

 

私のブログ歴はかなり長くて10年ぐらい文章だけのものをやってから、2016年の転居をきっかけに料理ブログに特化して、どのブログも原則毎日更新で今に至ります。

料理嫌いがきちんとケア料理を作り続けるためという個人的な理由で始めた料理ブログにつき、当たり障りなく、食事以外のプライベートなことを書かないで始めました。

けれども、だんだん物足らなくなってきたのです。

やはり書き手の心が見えるかどうかが鍵。

レシピでも何でもノウハウ的なものはツールであって、知識では心が揺さぶられないし、肩書のない私に痛風ケア料理の知識を求めてくる人もそんなにいらっしゃらないようなので、3、4年前にブログ内でも少々の転換をお伝えしました。

心の話に触れたくない人はそのあたりから去って行かれたと思います。それで良いと思います。不必要に他者の心を乱すことのは好みません。

私は常に単なる事実を書いていまして、事柄として「こういう状態に対処するのにはこうしています」ということを近頃よく書いています。ケアが必要なので、体調が悪いので、今は物価高なので、こういうふうに食生活を工夫していますと。

こっちのほうが痛風に関係ない人にも私の生き方が伝わるかな?という思いです。

生き方、考え方は料理からもよく表れるなと思います。

「暑い時に暑いと言うな」と頭ごなしに叱られ、「暑い時に暑いと言うとそれが助長されるし周囲の人も嫌な気持ちになるからやめたほうがいい」とアドバイスされて育った世代です。

当時はそれが常識のようにとらえられていた時代でした。

脳と心の勉強をしたことで、それを言うのは大きな間違いだと今は知っています。

それはどちらも単なる事実でそれに伴う負の感情は一切ありません。

暑い日には「暑い」と素直に言い、それを聴いた人は「うん、今日はほんとに暑いね~」と答えられる心の状態が人として健全。

「暑いなんて言うものじゃない」も違うし、「暑いならこうしなさい、ああしなさい」も相手の心にとって良いこととは言い切れません。

めのキッチンでは「暑いよね~。じゃ、よかったら、これ一緒に食べようか」が自然。

キナウリ

キナウリ
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何でもないあり合わせ。でも、ひんやり少し甘くて水分たっぷり。

「メロン」として売っていたそうだけれど、味はほぼ「キナウリ」の黄色いメロン。

あるがまま、表裏をつけないこと、開けっぴろげで生きること、それが私らしい。

一日いちにちを大切にしながら、今生きることに苦しさを抱える人たちに心を寄せて生きていきたいだけなのです。

無理に探さなくても今、人としての真の幸福のありかを知っていて、持っていて、私の心を安定的に温めてくれています。

そうは言っても、日常の事柄は綺麗ごとでは済みませんし、心の波の無い人も、矛盾の全く無い人もあり得ません。

いろいろな事柄と感情を持った状態で生きるのがまた人間らしくてそこも人生の醍醐味。せっかくなので楽しみたいところです。

私は自分が不幸だと思ったことは今までの半世紀を超える人生の中で、実はほとんどありませんし、今現在の個人的な幸せ感覚の押し売りもしたくありません。

しかしながら、私の過去や今の生活は多くの人にとっては不幸に当たると思えるものなのかもしれません。

私の日々が不幸そうに感じる方には不快な思いをさせ、また、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。