めのキッチンの美味しい生活

めのキッチンで実践して効果が出た「家庭でできる通風ケア料理」と「プリン体の減らし方解説」。また、普通食の創作料理を紹介しています。

家庭料理とは何か#豚肉の甘辛コチュジャンソテー#よもやま話

折しも年末年始。朝からお節料理にかかづらっていて予定よりも手が空くのが遅くなりました。

先日から、家庭料理って何だろう?ということを考えさせられたので、今日はめのキッチンよもやま話。

先日「家庭料理に飢えている人がいるから」と受けたある会社の食事作り当番に行って、起きたこと言われたことで夜一睡もできなくなって翌朝にメンタルだだ落ちで書いた記事「ブロッコリーとキャベツとウインナーソーセージのジンジャーリゾット 」に、その翌日、料理の感想をいただいて、メンタル激落ちの原因がわかって書いた「 里芋フライ青菜味噌添えと和風ロールキャベツ2種 」の記事を読み返して再確認したのは、「家庭料理」の概念。

言葉通りならばWikipediaによれば「家庭料理とは、一般家庭で日常的に作られ、食べられている料理」で、「おふくろの味に代表される素朴な料理群」で「地域色色濃い郷土料理を含む」もので「家庭内で調理されるもの」。

はいはい、その通りです。となれば、20代の人なら、カレー、オムライス、卵焼き、肉じゃが、唐揚げというラインナップを出しておけばよいでしょうか。

私の場合は、丸干しイワシ、菜っ葉の味噌汁、大根の煮物、里芋の煮物……等々が家庭料理という環境で育ちました。肉じゃがなんて給食で初めて知った料理。

つまり、家庭料理は地域差があり、各家庭の違いがはっきり出て、統一性の無いものでもあります。

私が思う家庭料理というのは、言葉通りのそんな「料理」ではなくて、「家庭的な雰囲気がただよう食卓」だと思っています。

現代では外食でも総菜でも、レトルトでも、それが日常によく登場し、家族と共に家庭という雰囲気のなかで食べる料理。(お隣さんのおふくろの味はレトルトだそうです)むしろ、料理よりも「食べる時間の過ごし方とその時の心の動き」が家庭料理の決め手だと思っています。

「家庭料理=心が温まる食事」が理想ならば、家庭的な雰囲気、つまり食べる人をOKとして見守る人が目の前で料理(レトルトや総菜でも)を提供してくれてこそです。

そういうことで、私が作るお隣さんのご飯は家庭料理かというと、微妙ですね。

知らない間柄ではないし、相手を思ってきちんと毎日ケア料理を作っていますし、家庭で日常に作られる(けれども毎日初めて食べる非日常な料理が含まれた)メニューで、お誕生日にはちゃんとケアを緩めて、好物が作られますが……。

一昨日「あ、誕生日だからお肉か」と下の娘が言いました。

豚肉の甘辛コチュジャンソテー

豚肉の甘辛コチュジャンソテー
ブログランキング・にほんブログ村へ

豚肉の甘辛コチュジャンソテーのメニュー

豚肉の甘辛コチュジャンソテーのメニュー

豚肉の甘辛コチュジャンソテー
モヤシとピーマンとパプリカの炒めもの
カリフラワーのサラダ
小松菜のお浸し
人参と芽キャベツのサラダ
糠漬け
豆腐とワカメと油揚げの味噌汁
白米ご飯2杯
お誕生日用ケーキ

交通機関を使わずギリギリいけるケーキ屋さんは毎年この日から年末休みなので、格安品で手作りが多いのですが、今年は奮発?しまして、ショボい?けれどもケーキそのものを買い、更にちょっとだけ手を加えて見映えをよくしました。

お誕生日用ケーキ

お誕生日用ケーキ

なんというか、そういう気持ちが「家庭料理のキモ」だと私は思っています。

ところが、先にリンクを貼った二つの記事を書いてみても、コメントをいただいても、どこかしっくりこない感じもあり……。

私の書き方が曖昧だからか、今の世の中では価値観が「家庭料理を」と私を誘ってくださった先方の人たちと同じような感覚の人が普通なのか……。

自分の感覚、考え方が異常なのではないかと、少々不安になっていました。

昨日、ヘッドスパをしていただいて髪を乾かしていただいている間に、こんなふうに家庭料理を届ける経験をしたという事実をそのまま話してみました。

すると、さすが私の一押しの若い美容師さんは一瞬絶句された後、「それはおかしいです。それなら弁当屋のほうが作った人の顔が見えるだけ、まだマシじゃないですか」と。「失礼な話だから、断っていい話だと思います」とも。

そう言えば、その前日には「こっちを誰だと思ってんだ!って感じ」「丁寧に作って大事な人に食べてもらいたくなるような料理研究家だぞ〜!」と、プンプンお怒りモードになった親友(ほめ過ぎなのは、親友なのでね)にも「終了でいいよね」と同じことを言われていました。

私が大切にしているのは「心の動き」。

物理的な「料理」だけがあれば伝わるようなものではなく、人と人との心の交流。生の会話の中での食事がどれほど家庭料理に求められた心の安らぎに大切かということ。

デリバリー業者では駄目なのです。

冷めた料理をタッパーからお皿にとってレンチンして違う時間帯にそれぞれ勝手に食べるなら、何を食べても大しておいしくありません。

言葉通りの「家庭料理」が食べたいならわざわざ知らない人に作ってもらう必要はないのです。お惣菜売場で家庭料理の代名詞の「肉じゃが」でも買って来ればいいのです。

食べる時に一人であっても、そこに作ってくれた「食堂のおばちゃん」が居て、温め直してくれて出してくれてこその家庭料理感なのです。

これは私がカウンセラーだからそう思うのではなく、人の心を大切にする普通の人間らしい人として、そこは譲れないな~と思っています。