このところ、なぜか急にプライベートなことを書きたい衝動が起きています。
「承認欲求」というものの表れでしょうか。
「わかってもらいたい気持ち」が沸々と。
他者からの見え方って、どうでもいいようでいて、どうでもよくないですね。
世の中が乱れ、生活の安全が脅かされ、不安と恐怖が覆うこんな時だからでしょう。
自分の心の乱れを誰かのせいにしたり、何かのせいにしたりして気を紛らわしたい人が増えますね。
そんな雰囲気の中、自分も少し気持ちがわさわさしているかもしれないなと思います。
一昨日から「書いてはみるけど消す」を繰り返しています。
毎日のケア料理の背景にある私の感情(お隣さんのことを含め)についてですが、書いても書いても、実際、誤解は解けないでしょう。
そこを重要視しているのは私であって、ブログを読んでくださる方にとってはどうでもいい部分で好きに解釈しておきたい部分でしょう。
社会に対して訴えたいこともあるけれど、今はまだその時じゃないという気もしています。
まだまだ先になりそうです。コロナでまた資格取得が遠のきました。
豚塊肉と蕪の塩麹煮
人参と黒豆のサラダ
モヤシと小松菜の味噌炒め
牛蒡の煮物
キムチ(市販品)
豆腐と葱と油揚げの味噌汁
白米ご飯2杯
やってはいけない煮汁ごと調理をしてしまいました。しかも、モモ肉。
量は少な目を心がけていますし、出汁(プリン体)は加えずにしたのでOKということにします。
タンパク質は豚肉のほかは黒豆、豆腐、油揚げ、味噌(豆味噌なので)ですが、それぞれ少量ずつにつき、痛風ケア料理として成り立っていると思います。
今日は三月三日。
コロナの中で迎える三度目の春。
もっと前だった気がしますが、まだ三年め。新種のウイルスが出ると丸三年ぐらい対処にかかるのは歴史的になんとなくわかっていましたが、渦中にいると長く感じるものですね。
先行き不安でも将来のために、ゆっくりでも、小さなことでも進めたいですね。
そのためにも心身を良い状態に保ちたい。
とりあえず(相変わらず?三年前と同じように?)できる範囲で可能なことをして過ごします。
今日の夕食は材料を買い足さず、あり合わせで桃の節句のご飯にしようかなと思っています。