「〇〇スーパーに買い物に行くけど、何か食べたいものある?」
「う~ん……砂肝。あそこで安くて美味しいものって砂肝しか思いつかない……」
というわけで、娘の注文を受けて砂肝を買いに行きました。
砂肝以外にもいろいろあるけどな~と思いつつ。
そんな日は、お隣さんのお留守デー。下の娘の優先順位が上がりますね。
そんな娘、近頃は徐々に食べられる日が増えてきました。
私と同じで食べなくてもなんとなく時間が過ぎてしまうことも多い人。
今年の不調の波は「今(作るのも待てないぐらいの)すぐ、何か食べないと!」という逆に変な切迫状況がありまして、不思議だなと思っています。
料理している最中で、あとちょっとで出来上がるのに、冷蔵庫を開けて何かつまんで
しまい、またご飯がきちんと入らない。
でも、その一瞬が気持ちが悪いとか、胃が荒れるとか、何かすごい感覚があるのだと思うので、とにかく彼女のペースにさせています。
それが良かったのかもしれません。
近頃、ご飯はご飯でゆっくりながらもきちんと食べきれる日が増えてきました。
卵かけご飯までいかない、まぶしご飯。炊きたてご飯に卵を混ぜ込んで余熱で火を通した黄色のご飯。
そこに買い物に行ったのに高くて手が出なくて野菜不足で、人参とオクラだけ。
そして、砂肝の塩胡椒炒め。
この時はあっという間に完食してくれました。
体の不調で原因不明、薬が効かないとなると、多くの医師が「経過観察」「ストレス原因」で逃げてしまいます。
その言葉がストレスを与えていることにも気が付きません。
ストレスというなら、ストレスを減らします。
一番いいのは本人の好きなように生活することです。
規則正しく生活のリズムを整えようとか、睡眠をしっかりとか、食事をしっかり摂らせようとか、そんな程度のことでストレスを外から与えない。
ただでさえ本人はそういうことが気になって自らストレスをかけているものです。
心身の調子には誰でもその人独特の波があって、それがその人の自然のペース。
そこを無理に「ねばならない」で縛らないようにして、時間をかけて見守り続けるのが私が娘にしてやれること。
三年が過ぎ、不調の中の波を繰り返し、本人的にまだマシな時期も苦しい時期も、私がブレることなく見守ることができてきて、娘も病気と共存しながら社会生活を送ることがやっとやっとでもできています。
健康じゃなくていい。バリバリ元気じゃなくていい。
必要な時にある程度元気そうに見え、ある程度動ければいい。
今日からまた連勤の様子です。
今年は去年より出勤も多いのに去年より僅かに元気に働けています。
その僅かがとても大きい。すごいことだと思っています。
頑張れとは思いません。この調子でいけるといいね、と思っています。