よく作るほうのシシャモを使った手抜き系料理です。
時短簡単がいいなと思い、フライパンで作りたくて思い付いた料理でしたので、私のようないい加減な人間向きのシシャモ料理です。
グリルの汚れや揚げ油の後始末が要らないから、廃れることなく味のバージョンが時々で変わりつつも、長年食卓に登場しています。
今回は和風バージョンの一つ。
上に海苔と胡麻をトッピング。
海苔ではない緑のものは……なんと、ワカメ。
これは正直、あっても無くてもいいものです。
思いつく葱という選択肢は酢でに使い(当然美味しい)他に何かないかな~と、チャレンジしてみただけのことです。
私、チャレンジャーなところもありますから。
シシャモ(雄)の和風オープンオムレツ
人参とモヤシの塩麹和え
ニラのお浸し
中華クラゲ(市販品)
米麹漬け
エノキダケと油揚げの味噌汁
白米ご飯2杯
シシャモの雄。卵が無いのでその分のプリン体が少ないです。
卵のある雌と比べると物足らないという人もいらっしゃいますが、雄は雄で少し軽い口当たりで美味しいものです。
脳に刻まれた子持ちシシャモの美味しさを想像して食べると「?」となるだけのこと。
説明が下手でも申し訳ないけれども……。
雄のシシャモを口にしているのに、「雄」よりも「シシャモ」というところに重きを置き、「シシャモ」は「普通は子持ちシシャモだろう」とイメージを一部改変し、雌で得られる感覚を今までの経験によって脳が勝手に思い出し、予想してしまうことで「?」という感覚になります。
子持ちシシャモの味を雄のシシャモの中に脳が勝手に探しに行っているということでしょうか。
もしも、シシャモという名の雄ばかり食べていて、ある日初めて子持ちシシャモを食べたら、逆のことが脳内で起きます。
雄の味を想像して雌の子持ちシシャモを食べて、雄の軽い食感と身や皮や骨の味や香りを期待したら卵の味が濃くて密度があった、寧ろ香りが少なく硬いとか重いとか感じる可能性だってあるかもしれないなと思います。
脳が無意識に素早く働いて反応してくれることは、とても役に立っているけれど、たまに「あれ?なんか変」って思うこともあり、邪魔になる時がありますね。
人間は感情、感覚に左右されるので「感じる」ことはとても重要。
でも、感覚も確かなようでいて、曖昧なもの。
あるがままをそのままに。
雄のシシャモ。なかなかです。