格安の茹で焼きそばの麺を久しぶりに買いました。
実は、年末頃にいつもの超格安を買ったところ、麺がびっくりするほど不味くブニョブニョになっていました。粉をケチって水でふやかしたような……?
パッケージには「もちもち」な食感が増すように改良したみたいなことが書いてありましたが、ブニョっとした伸びきった麵という感じで、作っているうちにブチブチ切れてしまいますし、何食べているのか謎な感じ。
素直に改良品と受け止められず、隠れ値上げを誤魔化すためとしか思えなくて、別のそれより高い麺を買いました。いつもより云十円高いけれど、これも次に安いものなので、以前買っていた程度の味と食感の普通の麺でした。
焼きそば率、減りそうです。
フライパンで麺だけ焼いて、和風出汁であんかけに。
あんたっぷりのほうが美味しそうに見えるけれど、女子ご飯としてはお腹が膨れすぎるので控えめにしました。
いつもケア料理の見映え大事って言っていますけれど、言葉通りではなくて、相手に合った料理にしているということかもしれません。
味より見映え(ボリューム感、手の込んだ感)を重視するお隣さんには見映え、
味と好みと重視で、お腹の限度が今は小さい下の娘には、食べきれる量と好きな食べ物。
相手の好み、需要ありき。
昨年秋ごろから、いろいろお世話になっていた格安食品が、隠れ値上げになっています。
隠れ値上げには種類があって、「量を減らす」場合と「製造先(仕入れ先)を変える」場合、「材料の質を落とす」場合があります。
良心的にパッケージを簡易にしてプラを減らしてくださるメーカーもあって、これはめちゃめちゃ嬉しいですが、反対にパッケージを過重包装にすることで中身を減らすやり方をする(お菓子に多い)場合は、本当にその環境に悪い儲けの手口に嫌な気持ちになります。
そんな中で、私の一番嫌いなのは、この焼きそばのパターンです。
材料を誤魔化すためのリニューアル。味が落ちた商品がたくさんあります。
口に入る部分を表面だけ取り繕って粗悪品にするやり方はいただけません。
詐欺にあったような不愉快さです。
食品の能書き、イメージ、それだけでお金を儲ける。
個人じゃなくて会社がやるのだから、「会社のため」「従業員を守るため」などという自分たち仲間内だけの損得勘定なのにそれが世の中全体の正義のように感じられて、許されてしまう。
肩書大好き、権力大好きの日本社会の典型的な感覚でもあるかもしれません。
そう言えばこんなことを書いていらっしゃる記事を拝見しました。
「【日本の長期デフレ不況…たった2つの要因】「既得権益」と「他人任せ(他責)」 | 【ECO&FIREブログ】新時代版 持続可能な生き方へ」
経済に疎い私ですが、なんとなくわからないでも無いですね。
公務員的といいますか、一人で責任を負いたくない人が、お金持ち、肩書のある人、会社や公的機関などの組織の言うままに流されていくという現象は、いろいろなシーンで見かけます。
職場や学校では当然のように、地域活動や家族の中でも上下があって、誰かの決定に従ったり顔色を窺ったりして行動することが日常的で当たり前の日本社会です。
私はもの作りをする人たちと関わった仕事をしていた過去がありますから、もの作りする人に対して厳しい面も持ち合わせています。
「良いものを提供しよう、相手を喜ばせようという心持ちが無いならば、もの作りはするものじゃない、人に提供するものじゃない」
こういう厳しいことをはっきり作り手に行ったことも何度かありました。それを言って、相手を泣かせたことだってあるぐらい……。
肩書、経歴、自慢、金儲け等々のために作るのではない。それらは後から付いて来るものであってほしいです。
この厳しい時代だからこそ、本当に人にとって必要なものにお金と労力をかけていくようになっていかないと、どんどん人間社会が争うばかりの社会になり、人が破滅に向かうような気がします。
かくいう私も仕事も得られず、この先を生きていくための不安も大きいし、現に生活資金不足。
綺麗ごとでは生活していけないという人もいらっしゃるでしょうけれど、他者を騙したり踏み台にしたりしてお金を儲けらる性格かというと……。
パッケージの大きさとデザインだけ整えて売るお菓子みたいなのは……。
だから貧乏だと言われたこともあります。競争して自分を高く宣伝して売り込まないからだと。社会の仕組み、一般の考えに適応できていないからだと。
それでも……。
必要な人が少なくても、求める相手に自分のベストを提供して、経済的には細々とでよいので(今はそこにもまだ至っていないけれど)、心豊かに暮らしていくのが理想です。
そんな考え方を共有できる人で、私がやりたい活動を一緒にやっていける人や、僅かずつの協力ができる人に出会っていけたらいいなと思います。