生ものは急いで食べなくちゃ……ということで、鮪は二日連続になりました。
捌いたその日(既に水揚げしていただいた翌日)にはいただきものの鮪で刺身になりました。
その時に、全部食べられませんから、予め残り半分をタレに漬けて、漬け鮪にするべく冷蔵庫へ入れておきました。
刺身を翌日も生のまま食べたいなら、家庭ではこうするのが一番楽ですね。
運よく山芋が冷蔵庫にありましたので、山かけ丼に。
これは娘用の盛り付けです。
すぐに召し上がらないお隣さんには、こんな形でお出しすることになります。
この見た目では冴えないけど、仕方ないですね。
捌いてさくにならなかった残りはアラ部分ですから捌いてすぐに身を搔き出し、冷凍しました。
そのうち回答して加熱調理することになると思います。
嫌な思いもマグロと一緒に消化されて、不要物は外へ出て、体内には自分で使える栄養素だけが残ります。
鮪の骨と皮などの残骸はごみ収集日にささーっと火葬?されるために袋詰めにされ、収集車に乗って家から旅立ちました。南無阿弥陀仏。
折角のご厚意の入った鮪ですが、私は美味しく感じませんでした。これは事実。
けれど、娘は嬉しそうに食べていました。これも事実。
娘を見ていたら、子鮪も報われたかなと思えました。
結果として、私の中では「良かった」「ホッとした」という感情になりました。
そんなふうにして、私に害をなす私自身の負の感情も処理され、消えていきます。
誰でも生きていればいろいろあります。
事実は事実ですし、経験は経験。
私はお隣さんのように自己愛が強くなくて、事実を捻じ曲げたり忘れたりしてまで自分を守るやり方はできません。
自分はそれでいいし、事実をまんま受け止める、そういう自分でよかったと思っています。
だからこそ、「他者のメンタルケアのお手伝いができる最低限かつ必須な、人としてのライン」をなんとかクリアしているのだと思います。
後は一生自分を磨き、勉強し続けて本物を目指すだけという、恵まれた状態にいるのだと、今、思えています。